マンガやアニメだと『敵の敵は味方!』というパターンは王道だ。



ピッコロさんが最大の敵だったのに地球に襲来するサイヤ人に対抗するため味方になった。
そのサイヤ人達のボスであるベジータがより強大な敵であるフリーザ様と戦うために味方になった。

最近ではドラゴンボール超でそのフリーザ様ですら力の大会というところで宇宙を代表する戦士として味方とは言わないが仲間になった。



そう、物語上では敵の敵は簡単に味方になる
だがここについては大きな盲点がある。


『より強大な敵に対抗するという必然性。』



要するに敵の敵は味方というストーリーを納得いくものにするためには敵が強大でなければならない。


リアルでほとんどの場合この『強大な敵』という部分が用意されない。
つまり敵の敵が味方になる大前提がないのだ。


この法則が少し変則的に当てはまるのが自分が嫌いなものを叩いたり、戦っているのを見ると自分の味方だと錯覚してしまう現象。


僕はあまりこれをやらない。
考えの主軸がある程度あると、そこはそう思うけどここは違うみたいなのが出てくる。

自分の嫌いなものを第三者が叩いてるのを見ると手を叩いて喜びたくなるのかもしれない。
だが安易にそれを肯定するのは危険だ。
出来るなら自分の意見で戦えばいいと思うし、論じる事自体は好きに論じればいいと心から思う。



名言や故事の引用についても同じで、適切な程度で、適切な運用ならいい。
だがそれを多用するのも自分の考えを表現できないおつむの軽さが裏に見え隠れする。



強大な敵に対抗するために結ぶ手は美しいのかもしれないが
嫌いな相手を叩いてるだけの輩に同調したときは自分にとって気持ちよさしかなく、周りからは醜く見える。



これは信オンの国勢でも同じで
どこどこの国が嫌いだから叩きましょうとかそういう形は客観的に見て見苦しさが目立つ。
だから次の期やそのさらに次の期には弱体したりするんだろうと思う。


更に国勢の場合そういう色眼鏡を通した論を拡散させることで上記の見苦しさをねつ造することが出来る。

色眼鏡を通した見方を広めたい声の大きい輩が居ることが問題だったりする。

ならばどうするのか。

色眼鏡の価値が下落すればその色眼鏡を掛ける人は少なくなる。
僕が昔やったことはこういう事で、多分それは物凄く成功した。


色眼鏡の価値が下がった持ち主は価値を下げた僕が憎くて仕方がない。




少し話がそれたけど、要するに対人関係で同調をするのは大きなリスクがあるよという話。
いくら自分が嫌いな人が批判されていても、自分の言葉でそれを為すのではないのなら
自分の意図とは違うものが自分の意図にされてしまう事だってある。

リアルでも悪口や愚痴に安易に同調するのはリスクが大きい。
信オンでもその他であっても全く同じ。


気を付けたいものだ。



まあ、知らんけど。
※ねつ造使い始めました。
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