信オンにおける合戦は対人コンテンツである。

もちろん武将を倒す等NPCがかかわる部分も多い。
しかしプレイヤーが居なければ決着はつかず、プレイヤー同士が戦う、相手陣営の狙いを阻害するといった要素がメインとなっていることから対人コンテンツであると考える。


昔から言われてる事でもあるし、他の対人要素があるゲームでも散々問題になったり議論されたり議論し尽している要素でもあるが、対人コンテンツは対人問題が起こりやすい。

もっとも単純に言うと揉めるのだ。


何故揉めるのか。

どのゲームでも対人要素は勝敗があり、勝てば嬉しい負ければ悔しいというシステムが組まれている。
これはゲーム性自体の話だが、競争の原理を取り入れて加熱する手法でとても一般的な話だ。

明確に勝ちと負けが数字で出る。
そして勝ちを取るため、負けないために戦略戦術を練る。
信オンで言えば外交から始まり、物資、策謀というシステム面や周知やモチベーションアップ等の人的なものも含めた戦略要素。
そして実際に陣が始まりどこをどのように攻める、守る、情報共有、今何が必要であるかの判断、旗振りなどの戦術要素。


もう十数年にわたり毎週のように複数起こっている合戦。
合戦が起こる、そこに想いを、手間を掛ける人がいる。
ただ参戦しているという気楽な層もいれば、本気で国を勝たせるために真剣に、必死で考え行動している人達もいる。

戦略、戦術の基本は
・相手の目的を阻害すること。
・(勝ち負けという点に関わる事柄において)相手の嫌がること、やってほしくないことをどれだけ効率良く出来る様にするかということ。


突き詰めればこの2点だ。
そしてこの2点は裏表でもある。

戦術レベルで言えば
目的を阻害することというのは武将にフルでつく、救援を入れるといった目的を敵陣営が持って動いていたとしてそれを阻止する行為だ。
相手の嫌がること、やってほしくないことをどれだけ効率良く出来る様にするかというのはその逆で武将を落とされたくないと思って居ると判断するなら武将を落とす。
武将徒党をフルで武将に着けたいと思っているなら防衛する、割る等の行為が考えられる。

戦略でレベルで言えば
目的を阻害する→同盟の交渉を破綻させる。合戦の進行経路の選択肢を奪う。
嫌がること、やってほしくないことをどれだけ効率よく出来る様にするか→敵陣営が組んでほしくないであろう国と組む。同盟国とバラけた状態で合戦になるよう他国と連携して合戦を起こす。やってほしくない策謀をきちんと選択する。


こういったことを考えるか考えないかはともかくとして、ここでしばしば問題になるのは
『どこまでの行為を容認するのか』
ということだ。


例えばスパイ。
明らかに敵陣営のキャラが自陣営に潜り込み士気を落とすようなチャットを延々と垂れ流す。
突撃武将を出したり。防衛状況を相手に明らかに流していたり。

例えば兵種の悪用。
銃を装備し、マクロで連射しながら前進してくる徒党。

例えば捨てキャラ。
赤!を出して検索文等での誹謗中傷。

例えばゲーム外。
匿名掲示板を使った妨害工作。ブログでの批判。SNSへのコメント。



こういったものは確かにシステム的には可能だ。
システム的に可能だからやっていいのか。
良いという人もいれば悪いという人もいるだろう。
この議論に正解はない。
ハラスメントに該当しなければシステム的には運営に通報しようが容認される。


今回この記事を書くきっかけになった出来事があった。
詳しく述べることは今の時点で避ける。
その時は知らなかったのだがどうやら一連の流れの原点は黄金騎士GEROさんのこのツイートにあるようだ。




昔から合戦で問題になり議論されている死体蹴り、死体踏みというやつだ。


これ(動画の件)も前述の行為も含めて
個人的にはやろうがやるまいが好きにすればいい。
心からそう思う。
各人の自由だ。


ただこの自由という概念は何でもやっていいという事ではない。
自ら由(よし)とする。
自分がよしとすることをなすということだ。


一番大事なことはそれを自分がやって、良しと思えるのかどうか。


だから僕はやらない。
僕は御免である。
自分が自分自身に対してとんでもなく見苦しいと思ってしまう。
昔何かの記事で使った表現だが『美しくない』と思う。


そしてそれを他人が見てどう思うかどうか。
それはやった行為を見た各個人の判断になるのだ。


だからこそ本当の意味で僕らは本当の意味で自由に振舞わなければならない。
本当の意味で自ら良しと思った行為をしているのであれば人の目等気にならない。

もしそれが気なるようであればそれは自己欺瞞があるからだ。
自分で良しとは思って居ない。本当は良くなかったと思って居る。
だがそれを認める事ができない場合、状況、心境に陥ったときどうなるか。


悲しいことだが他者を攻撃し始める。



これを余裕の欠如という。
傍から見ると狂を発したようにすら見えることもある。

自由のはき違えが起こす惨事であり、悲しみであるともいえる。


人を殴る自由は殴りかえされる自由の裏返しでもある。
人を罵倒する権利は罵倒される(相手が自分を罵倒する)権利の裏返しでもある。
自ら良しとした行為の責任は自分がとるしかないのだ。


だから僕は自分が書いた記事やツイートを基本的に消すことは無い。
相手に迷惑が掛かると思った場合のごく一部の例外を除き。


自分の発言を消すということは責任の放棄であると考えている。
責任を放棄する手の人間が自由だと思って居るそれは
『我が儘』という別の言葉なのだ。




まあ、知らんけど。

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